手を差し伸べられる人
こんにちは。
8月の中旬に入ろうとしているのを考えると、時間がとても早く経っているなあと感じる今日この頃です。
6ヶ月も現地にいると、言葉が割とわかるようになります。
例えば、いま、複数の人が私の前で話しているとすると、その人達が何の話をしているのかがわかります。
加えてその人達が何を思いながら会話をしているのかにも注意を払うようになるということです。
根拠は自分の直感にしかありませんが、私はコスタリカの人々とは、「無条件に手を差し伸べられる人々」だと思います。
言い方を変えると、互いに助け合って生活しているのです。
日常生活のあらゆる面でわたしはそれを裏付けるような行動をよく目にします。
例えば私がスーパーで買い物をしている時、店の人に質問すれば必ず対応してくれます。
コスタリカに来たばかりの時でも、彼らは拙い私のスペイン語に耳を傾けてくれました。
探している物が見つからない時もありましたが、何よりその心遣いが嬉しかったです。
だから私もなるべくそのスーパーに行って買い物をして彼らを援助したいと思うようになりました。
他にもたくさん助けてもらった例はあります。
コスタリカではWhatsappというSNS(日本で言うLINE)がよく使われていて、学校のクラスのグループがあるのです。
そのグループ内では事務連絡や宿題などわからないことがあったら質問がなされ、それに誰かが答えるというやりとりがあります。
そこで私が驚いたのは、必ず誰かが答えているということです。必ずです。
コスタリカにも複雑なドロドロとした人間関係は存在します。友達が陰口を叩いているのは何度も目にします。
それでも誰かが困っていると必ず誰かがそのグループでは反応を示すのはやはり思いやりの心があるからではないかと思います。
私が初めて困りに困ってそのグループで質問した時、クラスのみんなが私に心配する必要はない!とか、私達を頼って!といった趣旨のことを言ってくれました。
中でも印象的だったのが、「私達は家族なのだから」と言われたことでした。
確かに家族とは常に助け合っているものです。クラスメートが家族とは最初は違和感のある響きかもしれません。
しかし、半年ばかりコスタリカで生活してきた私にとっては、家族という表現が最も適切にここでの人間関係を反映していると思います。
家族のような無条件の助けができる彼らを私はとても尊敬しています。
今日は以上です。
ありがとうございました。