常識を疑うとは
こんにちは。
早速本題に入ります。
以前私はクラスで授業中の携帯の使用が問題になっていると話しました。
補足しておきたいのは私が問題意識を感じているのではなく、学校や先生が問題視しているだけだということです。
実は先日、社会の授業で教科書を開いたら、沖縄が全く違うところに示されているのを発見しました。
私はその場で携帯を使って事実確認をしました。というか、せざるを得なくなりました。日本人としてそれはどうしても見過ごせなかったのです。
今回の例ではインターネットが誤解されることを防いでくれました。それは単純なようですが、我々日本人にとってはめのすごく意味のあることだったと思います。
現在日本でのインターネット普及率は80パーセントを超えているそうです。もう大多数の人が情報に触れることのできる環境になるのです。
コスタリカでは40,50パーセントくらいと言われていますが、私のクラスメートは全員携帯を持っていますし、SNSやインターネットを使っています。
授業中に携帯を触ってしまう人に怒鳴って注意したところで、以前と同じだけではないでしょうか。
私はなぜそれを逆手にとってインターネットや携帯電話を使う学習を行わないのかが不思議です。
インターネットは世界を変えました。日本から遠く離れたところにあるコスタリカから私が日本の皆さんに情報発信できるなんということを、何十年前の誰が予想したことでしょうか。
だから私達はそれを最大限に利用するべきなのではないでしょうか。使い方の問題でさらに私達の生活を知的にも質的にも上げてくれるのがインターネットだと私は思うのです。
授業中は教科書とノートみたいな常識にとらわれているせいで、本来得られるはずのものを失っているのかもしれません。
私達はそれらについてよく考えて、その都度常識を変化させていかなければならないのではないかと思いました。
今回は以上です。
また更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした…
では、また明日!