形式主義
こんにちは。
今日も張り切っていきましょう。
形式主義と題してお送りしております。
日々暮らしていると、コスタリカの人々が何かに属したり、型にはまっているという傾向にあるように思います。
まずは、学校にて。
頻繁に宿題が出されるのですが、レポート形式にして、表紙に校章、名前、教科、日付を書かなければなりません。
例えそれがウィキペディアの情報をまるまるコピーしたものだとしても。
名前をつけて提出するということは、それに関して責任を負うことを意味するのではないかと思います。
ともあれ、そのような形式にこだわる必要があり、形式に基づくことが必要とされます。
テストを受ける時、返却される時も必ずサインをしています。彼らにとってそれはとても大事な要素であるようです。
あと、面白い例をもう一つ。
以前にも紹介しましたが、コスタリカではサッカーが国民的スポーツなのです。
クラスメートはサッカーについて本気で議論し、街にはサッカーコートが複数存在し、あらゆる店で人気チームのユニホームが売られています。
そんなコスタリカには人気なチームが複数存在していて、ほとんどのコスタリカの人々は、「自分はこのチームの熱狂的ファンだ!」と自称します。
一つの例を挙げてみます。
コスタリカには、デポルティボ・サプリサというチームが存在し、圧倒的な人気を誇っています。
街を出ると、たくさんの人がサプリサのユニホームを着て歩いていますし、「俺はサプリシスタだ!」と誇らしく話してくる人もいます。
そんなに熱狂的なのだから、サプリサの試合は全部チェックして、スタジアムにも足繁く通っているのだろう。
と私は思っていたのでが、それがそうでもないのです。
サプリサが試合をしている時、テレビ中継をしているにも関わらず、サプリサのユニホームを着て街を歩いている人をよく見かけます。
以前レストランに行った時は、目の前でテレビ中継をやっているのに、食べながら談笑し、テレビに目もくれないサプリサのユニホームを着ている人を見かけたことがあります。
それについてもサプリシスタであることが彼らにとって形式にはまる、何かに属するという彼らの意識によるものなのだろうかと思います。
それが良いとか悪いとかについて私は言っているのではないです。
ただそのようなことからは多くのことを派生させて考えることができるように思います。
サプリシスタ達は一つの共同体と考えることもできるでしょう。その中で広がる社会があります。その中では以前話した助け合いの精神や平等の考えが共有されているのかもしれません。
全てはつながって成り立っているのだろうかと、そんな風に思います。
今日は以上です。
ありがとうございました。