コスタリカと私

コスタリカって?と思う全ての人へ。

宿題

こんにちは。今回も書いていきたいと思います。

今回のテーマは「宿題」です。個人的に宿題は全く好きではないですが(笑)、なかなか特徴的なことが学校の宿題には見られるので、紹介したいと思います。

私の通っている学校では、グループを作って共同に作業をしなければならないという課題があったり、PowerPointを使った課題、また、創作をするという課題もあります。課題の形は多岐に渡るということです。

それらの中で個人的に非常に面白く、また驚いたのが、生物での細胞の模型を作るというものです。

この宿題が与えられた時、少しは驚いたものの、「まあ模型くらいなんてことないだろう」くらいの気持ちでいて、たまたま帰った時家にあった誕生日ケーキをのせるための発砲スチロールの上に簡単に器官をイラストをした紙を貼ったという、ものすごく簡単なものを提出したのです。

が、学校に行って驚いたのは、他の生徒は紙粘土で立体を作り、その上家にある簡単なものを使い、塗装などの工夫を凝らして細胞内の器官まで非常に忠実に再現しているのです。その時の衝撃や、自分の作ったものと比べた時の虚しさ、クラスメイトに笑われた時の恥ずかしさ、提出した時の先生の苦笑、最終的におまけをして他の生徒より低いもののさほど変わらない点数を与えてくれたその先生の優しさ、すべて鮮明に思い出すことができます…。笑

これらの課題が授業の理解の促進につながるべきならば、それは積極的に取り入れていくべきだと思いましたし、それが形として残るならばそれは素晴らしいことだと思います。

ただ「なぜ模型を作るのか」ということを忘れてはいけないと思うのです。形や細部にこだわって何時間もかけてこの課題をやるというのは明らかにその趣旨から逸れているものと考えます。「なぜ、どうしてそれをするのか」と常に自分に問いかけていないと、自分で自分を思いもしない方向へ導いてしまう可能性があるのではないかと思います。

また、それらの課題が聞こえがよく、どんなに独特な形を取っていたとしても、それが生徒にとって価値のあるものでなければならないと思います。私の学校ではPowerPointでのプレゼンテーションは、生徒が他人の情報をコピー、ペーストをしたものを提出していることが非常に多いです。つまり聞こえの良さとは裏腹に独自性がないといったところです。

ともあれ、「なぜ、どうして」と常に頭に留めておくことは非常に重要なことではないでしょうか。今回は学校の課題にそれを例えましたが、課題とは必ず授業へと繋がっている必要があるのではないかと思います。それは決して形骸化してはならないことです。

今回は以上です。
ありがとうございました!