コスタリカと私

コスタリカって?と思う全ての人へ。

不可解な笑い

こんにちは。


今日はとても大きなイベントに参加してきました。

私の留学を支援してくれているコスタリカの団体が今年で創立60年を迎えたのですが、コスタリカの外務省がそれをお祝いする会を開催したのです。

それに伴い私は留学生として参加してきました。会場となった場所は日本の国会議事堂のような正式な場所で、コスタリカの外務大臣や各国の大使館の方々も出席なされていました。



そこではコスタリカの外務大臣、留学団体の責任者のスピーチなどが行われました。60周年をいうと共に、これからのより一層の発展を期待するというものです。


またそこで私の日本人の友達が留学の経験に関するスピーチを行いました。

彼は留学での経験や嬉しかったこと、苦労したことなどを話したのですが、そこで私がどうしても理解できない会場の反応があったのです。それがタイトルにも書いた、「不可解な笑い」です。


彼は留学中に苦労したこと、辛かったことのうちに、自分の顔立ちから中国人と言われることを挙げました。

すると会場の中で笑いが起きたのです。

「自分は日本人であるのに、どうして中国人であると言われなければならないのか、それがわからなかった」

彼はそのように付け加えたのですが、なおも笑いが止むことはありませんでした。留学生はおろか、同席している各国大使、留学団体の関係者、並びにコスタリカの外務大臣までもが笑っていました。


以前から記事に書いていますが、コスタリカでは日本人をはじめとするアジア系の人々は国籍に関わらず、顔立ちや目つきによってChino、つまり中国人と言われます。

これは我々日本人にとっては理解し難い部分であると思います。私もこれに関してはたくさん思う部分があります。


コスタリカの人々は、「人の外見などであだ名をつけてそれを呼ぶのは一種の愛情表現のあり方である」と主張します。

太っている人はgordo(太っているの意味)、金髪の人はmacho(金髪の人を意味する)と呼ばれたりしています。

痩せている人に対しては痩せているという意味の言葉を使って、それをそのままあだ名にしたりしています。

それに従うと、「中国人でない私達でも、アジア人であることから中国人だと言われることは致し方ない」というのが彼らの主張です。


ですが、我々日本人の中には中国に対して悪いイメージを持っているという人も実際のところ存在しますし、そもそも日本と中国は全く別の国同士であるというのは一般に浸透している考え方です。


筆者の私も同じように思います。私は中国に対して何も悪いイメージを持っていませんが、日本人であるために中国人だと呼ばれることにはかなりの違和感を感じます。

コスタリカの人々の主張はわかりましたが、それでも私の中には彼らと違った中国人のイメージが根付いています。


だからこそあの場面で、何のために笑いが起きたのか。私にはそれがさっぱりわかりませんでした。

彼が理解し難かった部分だと前置きをしたにも関わらず、会場は彼の言ったことを笑ったのです。私には全くそれが理解できませんでした。

彼と同様に私もそれについてほぼ1年間考え続けている身分でしたから、正直なところ笑いが起きたとき私は非常にがっかりとした気持ちになりました。


見方を変えれば、確かにそれは笑うところであったのかもしれません。彼らは日本人ではありませんでしたからそれは大した問題ではないのではないかと私は思います。


しかし誰かにとってそれが大きな問題であるならば、他の人はそれに配慮するべきではなかったのだろうかと思います。

彼らは悪気なくそれを笑いましたが、すぐそばに私のようなそれを理解できなかった人がいたのです。


私はこれは誰のせいでもなく、ただ対話や理解が足りなかったのだと思います。

私のように思う人が意見を主張していれば、こんなことはなかったのだろうと思います。


また、これは社会の問題においても言える事なのだろうかとも思いました。

おそらく私達はこのように、無意識に誰かを悩ませているのです。それに気づかないために解決が進まないのかもしれません。

今日はそんな現状の縮図を見たような気がしました。


私は多くの人がそれに気づけば良いだろうと思います。対話や理解の足りなさは新たな問題を日々増やしています。


ですから私はもっと対話や意見の交換が増えれば良いと思います。そうすれば誰かにとっての悪い現状が改善されて行くだろうと思います。


今日は以上です。
ありがとうございました。