謙遜するべきか?
こんにちは。
皆さんは褒められた時どうしますか?
「よく働くね!」「上手だね!」「偉いね!」
などと言われた時、皆さんはどうするでしょう。
私は「ありがとうございます。」などとお礼を言ってから、「そんなことはありません。」などという風に無意識に何らかの形でへりくだります。
というのも自分を自分で肯定するということが個人的にどうにも受け付けられないからです。公にそういうことをする人は少ないのではないでしょうか。
日本の社会では謙遜できない人は受け付けられない、などと言われたりするほど日本人にとってへりくだることは重要です。
私も無意識のうちに公に自分を肯定することは避けています。私と同じだという人も多いのではないかと思います。
ただそれが異なる文化内において受け入れられるかというとそうではない場合もあるようです。
私の視点から見ると、コスタリカでは謙遜するという文化がありません。
自分を肯定することや自分をアピールすることが重要です。
つまり日本とは真逆だということです。彼らは無意識にそのような性格を持っていますし、私も無意識に謙遜することを覚えているのです。
するとそれらの性格が噛み合わなくなる場面が出てきます。私がコスタリカに来て最も困っていることのひとつを紹介しようと思います。
留学生というと多くの人にとって見慣れない人であるのは想像できると思います。ですからほぼ毎日のように私は知らない人に会いますし、時には自己紹介をしなければなりません。
そこで必ずと言っていいほど頻出の質問が、「スペイン語を上手に話せる?」というものです。
私はコスタリカに来て8カ月ほどが経ち、スペイン語は話せるようになりました。ですのでここは「はい」と答えて良い場面です。
読者の皆さんが私ならどう答えるでしょう。本当にそこで「はい」と答えるでしょうか。
以前私は「まあまあです」と答えたことがあります。なぜかというと「はい」とは言えなかったからです。自分を肯定することを無意識に自分が否定しているからです。
すると相手の人があまり話しかけてこなくなりました。私がスペイン語を程々にしか理解できないと解釈したからです。
つまりスペイン語を話せるならば、話せると主張しなければならないのです。
できることはできると言わないと、このように自分にとって不本意な結果を招くことになります。
ちなみに私がまあまあだと答えた時に、隣に友人がいたのですが、その友人は私に「あの場面は話せるって言わないとだめだよ」と後で告げてきました。
ですのでそれ以来私はスペイン語を話せるかどうか聞かれた時は「はい」と答えるようにしています。
しかしこれは私にとっては非常に違和感のあることで、時々ストレスを感じます。
無意識に謙遜することが私の中に染み付いている以上は、自分を肯定することをためらってしまいます。
不慣れなことに適応する時には必ずストレスや疲れが起こります。私の場合、謙遜するかしないかがこれに当てはまります。
これがいわゆる文化の違いによる衝撃ではないかと思います。いわゆるカルチャーショックというものです。
日本では自分を積極的に肯定することはあまり受け付けられません。
コスタリカではそれが逆に大事だと理解しているつもりでも、いざ行動する時にとんでもない違和感を感じるのはやはり私が日本で育ったからではないかと思います。
文化の違いに適応することは、本当に難しいことだと思いました。
今日は以上です。
ありがとうございました。