実際何を話すか
こんにちは。
今日のテーマはタイトルにあるように、コスタリカで実際何を話すかということです。
私も留学前はとても気になっていたテーマです。そしてそれは皆さんも気になるのではないでしょうか。
希少価値の高い情報かと思いますので、よければ最後までお付き合いください。
まず前提にあるのが集団意識です。クラスで活動する時、グループで活動する時は、全体で共有できることを話します。
例えば授業中によく見られるのが、先生の説明の最中に質問をするということです。
クラスメイト全員の前で質問をすることでそれは共有されます。そこから授業が展開されるのも実際珍しくはないことです。
それとは別に私が驚いたのは、授業中であれ休み時間であれ、皆の前で冗談を言ったりして集団を笑わせようとする人が多いです。
それで笑ったり、集団のムードが上がったりするのがほとんどなのですが、
時折全く面白くないことを言い出す人もいるわけです。そんな時でも無視する人はあまりいません。何かしら反応があります。
つまり集団でいる時は、集団の一員として積極的に参加しているのです。個人的に仲が悪い人がいても、集団の中ではうまくやろうとしているようです。
ですが授業が終わり、クラスがばらけると、男子の中で女子を冷やかしたり、特定の人を悪く言ったりし始めるということがよくあります。
個人的には、そこまで言うか?というくらい徹底的に悪口をいい始める人もいます。
ある時ものすごく仲が良さそうな人同士がお互いに陰口を言っているようなことをよく見かけます。これはかなり驚きました。
表裏があるというと何か言い過ぎのような気がしますが、それはあながち間違った表現ではないかもしれません。
またコスタリカ人によく見られる大きな特徴が、自分の意見や見解を前面に押し出して会話をすることです。
私は〜と思う。とか、私は〜するのが常だ、という表現がこれでもかと言うほどに会話の中では飛び交います。
例えばコーヒーに関して話をしている時です。
一方が、
私はコーヒーはブラックで飲むんです
というと、他方は、
いや、私は必ず砂糖はスプーン3杯いれます!
などと言いはじめます。
そんな会話がその後しばらく続くというのが非常によく見られます。コーヒーに限らず、サッカーであれ政治であれ同じようなやり取りがなされます。
口論をしているわけではないのに、双方譲らないな、という印象をよく抱きます。
少なくとも自分の意見を会話に盛り込むというのはコスタリカでは重んじられているのかもしれません。
少し例をあげただけでも日本との違いは見られると思います。
留学生や外国人にとってこれは時に苦労を伴うことなのかもしれませんが、異なる国々でこれだけ違うというのは個人的には興味深いと思います。
今日は以上です。
ありがとうございました。