コスタリカと私

コスタリカって?と思う全ての人へ。

上下 続き

こんにちは。では話を続けていきたいと思います。

前回話したようにコスタリカの人々の人間関係を見てみると、年齢、能力、経験などに関わらず、言いたいことが言える状態にあるという点で非常にフラットであると話しました。そしてそれが日本との違いであると話しました。

コスタリカではスペイン語が主に話されるのですが、スペイン語には目上の人に対する丁寧表現があるもののそれは日本語とは少し違う捉え方がされているようです。言語についてはまた別の機会に詳しく書きたいと思います。

実は私のクラスメートにはほんの少しではあるのですが、16〜18歳の他のクラスメートがいます。ですが日本でいわゆる先輩と話す時のような話し方は決してされません。友達として話します。

彼らにとってはクラスメートはクラスメートで、同僚は同僚で、家族は家族です。つまり、同じ枠組みに入っている人は皆平等に扱うという空気が漂っているのです。そのような風潮はコスタリカの文化に根付き、日常生活のあらゆる場面で見られることです。

そうしていつしか最初は違和感を感じていた私自身もそういった風潮に溶け込んでいきました。

例えば、コスタリカに来た当初はあまりスペイン語ができなかったので、同じ町で留学生活を送っているオーストリアの15歳の生徒にスペイン語を教わっていました。その生徒は非常に優秀で、来た時からスペイン語が上手でした。

そこで私は、年齢や身分を気にしていると損をすることもしばしばあるんだということを学んだ気がします。そのオーストリアの友達との出会いは私にとってはものすごく重要なチャンスだったと思います。そして最終的に私はそれを年齢とか身分とかそういうことを意識して逃してしまうのは非常にもったいないことだと思ったのです。

ですからその友人とはいつもスペイン語で話をしました。オリエンテーションなどで各国の生徒が英語で話しているなか、その友人は私との会話に付き合ってくれました。その友人にはとても感謝しています。

つまり何が言いたいかというと、年齢や身分を意識しすぎると、本来得られるべきことを逃してしまう可能性があるのではないかということです。

年齢や身分を重んじてきた私たち日本人はそれを誇るべきだとは思うのですが、それに固執していることで見失っていることは少なからずあるのではないでしょうか。

できる人に教わる。できる人から学ぶ。

その重要性は私がコスタリカに来てから学んだことの一つです。それは日本に帰ったとしても私が意識し続けることであると思います。